ちょっと硬い歴旅 こぼれ話
写真では小さいけれど 十二支もよくわかります
東京駅の特集番組で放送していたので 足元にも注意してみました
あった あった ホームの前の方でした!
時刻表キロ数の起点となるゼロ道標が どのホームにも 埋められているそうです
今回は 古都へ足をのばしてみることに
ピンポイントで 紹介
一回は行って見たかった鞍馬山
これが 牛若丸が奥州へ向かうときの通った道
比叡山 延暦寺 根本中堂(こんぽんちゅうどう)
最澄さんが天台宗を開いたこの山で 栄西 道元 法然 親鸞 一遍
たくさんの仏教の開祖が修業
寺々も 東塔 西塔 横川の三つに点在
あの弁慶さんは 横川(よかわ)の武蔵坊に住んでいたので そう呼ばれたとの事
この根本中堂に「不滅の法灯」
開山以来 1200年消えずともされているとか
(叡山焼き討ち後は 山形に疎開というこぼれ話あり~)
油断大敵の言葉は この灯から出来た
火を消さないために 毎日 油やすすの管理が大事
これくらいなら 大丈夫!
怠ると・・・火が消えてしまう
それで ゆだんたいてきは 油断大敵と書くそうな
現在の根本中堂は徳川家光が全国の大名に寄進させて 再現したものです
大津 坂本の西教寺
比叡山から 日本一長いケーブル(約2キロ)で 琵琶湖側の坂本へ
明智日向守光秀一族のお墓があります
坂本は居城があったところ
信長の比叡山焼き討ちで灰になった寺を 生前の光秀が再建したので 死後お墓が建てられました
塔婆には 四百五十回忌という字
琵琶湖畔に住む絵友さんと
感激の初対面
三井寺近くにある大津絵のお店に案内を頼みました
現在 大津絵を描く人は たった一人
版画や絵葉書を購入
今回の 目的のひとつ達成です
琵琶湖の週末の夜は ロマンチック 話は果て無く 時間が経つのも早い!
偶然 大津祭りの宵山にぶつかり
祭りも堪能
大津から電車で10分 京都は近いです
平城宮跡
上は 御所の南中央 朱雀門の復元されたもの
この門と第一次大極殿の間(約800m)を 電車が走ってます
線路を敷く当時は 御所の外だと思われていたそうな
大極殿は 年に数回 天皇さんが
お立ちになるだけの建物
中には 下のような高御蔵が復元
先にも後にも この中にはいって座った人は 数年前の記念ドラマで
孝謙天皇役をやった
石原さとみさんだけとか・・・
撮影の時 椅子だけは 別な物に取り換えたそうです
本物の高御蔵は京都御所にありました
平成天皇の即位の祭には
分解して 自衛隊のヘリコプターで皇居へ運び 即位式を行なったそうです
今は どこにあるのでしょうか!
奈良の枕詞 あおによしは 青丹よしと書くそうです
すべて 太極殿の色から来ており
青は 緑青に塗られた部分
丹は 朱と白が 丹頂ツルの色に似ている部分
そこから 生まれた言葉です
10月は天高く お出かけ最適!
これからの方に 少しでも参考になれば 嬉しいな~
熱が入って つい長くなってしまいました
読んでくれて 有難うね
お勉強しました~
でも 歴史が超苦手 完全に欠落していますので
歴旅の下地がないのよ~~
夫は歴史大好きなので
いろいろ説明を しているのですが・・
暦女ですね~♪
水族館に続き、家に居ながら出かけているような気分になりましたよ~
届きましたよ~
人をいれて描くなんて~
さっそく真似してみよう!
すてきでしたよ~
ありがとう~♪
おぉ~ 遊びに来てくれたのね
待ってたわ
大津でポチさんの話 出ましたよ!
いつか行ってください とてもいい街です
今回もスケッチはしたけど 表書きする時間無く
筋肉痛で そのまま
これから ぼちぼちだしてゆこう
でもポチさん以外に いきそうよ
次回まで 待っててね!
35年ぶりの京都駅は 浦島太郎の気分
現代的な コンクリートと石の塊に変化してました
でも鞍馬の方は そのままだと思うよ
人里離れ 牛若丸の時代へ すんなり
彦根城は 今の方がきれいでしょ
また再訪して 若かりし頃を懐かしんでください
明日 待ち遠しいね (^。^)y-.。o○
書いたこと みんあ知ってた訳じゃ ありませぬ
現地で 見たり 聞いたり 読んだり・・・
それを載せているだけよ
そっかぁ フムフム なるほど・・・
ブログ見た人に伝えたくなって ついつい 走っちゃうのです
やっぱり 歴史は面白いのです